季刊誌 『シンガポール』 2012年度


季刊誌 『シンガポール』 2012年春号

目 次

ニュースフラッシュ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1

 最近のトピックス:当協会は新たに「一般社団法人」として再出発することになった。 駐日シンガポール大使、タン・チン ティオン大使が帰国され、後任の チン・シア ヨーン(Chin Siat Yoon)大使が着任された。「日本シンガポール協会設立40周年記念講演・懇親会」が開催された。


リー・クワンユー全集出版によせて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3

   寄 稿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3

元シンガポール駐箚特命全権大使
(社)日本シンガポール協会 顧問 橋本 宏


   リー・クワンユー全集出版記念ご挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5

社)日本シンガポール協会 副会長 宇野 久義

「リー・クワンユー全集」(”The Papers of Lee Kuan Yew, Speeches, Interviews and Dialogues, 1950-1990” Cengage Learning Asias社)の発売当たり、(株)雄松堂が2011年12月14日に実施した記念行事を特集しました。橋本元大使の霞関会へのご寄稿文を許可を得て転載し、また宇野久義副会長ご挨拶を掲載しました。シンガポール建国の父リー・クワンユー元首相にまつわるエピソードが興味深い特集です。


シンガポール進出企業シリーズ(その3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
シンガポールの産業基盤構築と時計工業 ~ セイコーの海外技術移転

(社)日本シンガポール協会 元・理事長 山田 章

 企業シリーズはセイコー(SIS)です。36年前、1976年リー・クアンユー初代シンガポール首相の熱い想いに応えて工場を設立したセイコーのシンガポール産業基盤構築への貢献は、NPB(生産性向上庁)の外国人ボードメンバーとしての参画や、EDBとの二人三脚、生産性の向上に加えて、「ハイブリッド経営」による「技術移転」の実現など、山田章氏の人的ネットワークの広さと人間味溢れる交流の記録です。


シンガポールの科学技術  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

東京大学・(社)日本シンガポール協会 会員 矢形 朋由(やかた ともよし)

 今回はシンガポールの「ワン・ノース」プロジェクトの一環として、「バイオポリス」、「ヒュージョノポリス」を中心に紹介されています。ワン・ノースとはシンガポールの位置、北緯1度を意味します。シンガポール国立大学に隣接して多国籍の研究所・施設・企業の一大ハイテク集積地域を構築しようという大規模なプロジェクトに、筆者は今話題のTPPの研究分野版とでも言うべきアジア域内の人材・資金・特許などの有効活用を期待します。


「豊饒の海」のキー・ストーン
第3話 ことばで探るもう一つの英蘭戦争 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・27

(一社)日本シンガポール協会 会員 矢延 洋泰

 英語には何故かダッチ・カレッジやダッチ・ゴールドなどオランダを揶揄する言葉が多い。3度に亘る英蘭戦争、ナポレオン戦争後のウイーン会議など、アジアの植民地を巡る英国とオランダの歴史上の確執は根が深く、ラッフルズ卿にもオランダに対する深い怨念があったようである。言葉には背景にある歴史までが透けて見える。


「シンガポールの画廊を訪ねよう!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30

(社)日本シンガポール協会 会員 猪山 雄司

 シンガポールのアタリー・アート(UTTERLY ART)とガジャ・ギャラリー(Gajah Gallery)の2つの画廊と、さらに最近民主化の動きが話題になっているミャンマーの現代芸術家アウン・ミャット・タイを紹介しています。


子どもが架ける日星の橋
 〜NPOリトル・クリエイターズの活動報告〜・・・・・・・・・・・・・・・・・32

特別非営利活動法人リトル・クリエイターズ 理事
(社)日本シンガポール協会 会員 荘司 哲夫

 シンガポールと日本の外交関係樹立40周年の2006年、「スポットライト・シンガポール in 東京」のイベントが開催されてから丸5年、紆余曲折を経て2011年にNPOリトル・クリエーターズとして「チャイルド・エイド・アジア2011 in 東京」を開催。その間、養護施設の子供たちや恵まれない子供たちとの出会いを重ね支援しながら、がむしゃらに走ってきた。そして今も念願の「基金設立」を目指して活動を続けています。筆者は皆さまの知恵と力を貸してくださいと呼び掛けています。


中部シンガポール協会 第84回例会
 <日本シンガポール協会との交流忘年会>報告・・・・・・・・・・・・・・・・40

中部シンガポール協会
事業広報委員会 委員長 加藤 大輔


風景と歴史―― イタリア ――(その4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・42

(社)日本シンガポール協会 会員 石河 正夫

 ナポリの風景について考察する。商業貿易拠点としての立地条件がヨーロッパ王朝間の政争の具となり、12世紀のノルマン王朝以降目まぐるしく支配者が変わり、文明の十字路として様々な異文化が融合しナポリの街独特の自由な雰囲気を醸し出す。ヴェスビオ火山とナポリ湾の2つの調和した曲線が生み出す卓抜した風景を日本の富士山と、さらには葛飾北斎の「神奈川沖裏波」と重ね合わせる筆者の感性がある。


最近の新聞報道から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

新会員紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54

各地のシンガポール協会紹介


季刊誌 『シンガポール』 2013年夏号

目 次

ニュースフラッシュ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1


「シンガポール―気骨ある国造り―」
橋本宏元シンガポール駐箚特命全権大使による講演録・・・・・・・・・・・・・・・3

 2012年3月14日「日本シンガポール協会設立40周年記念事業」として橋本宏元シンガポール駐箚特命全権大使が記念講演をされた。元大使はシンガポールの気骨ある国造りに焦点を絞り、建国の父リー・クアンユー氏がシンガポール独立前後の苦難のなかで『強い経済と強い国防を維持するために、政府は最も優秀、最も献身的、最もタフな人たちによって指導されなくてはならない』との信念を貫き通したこと、またナザン大統領の著作の述懐などにも触れられ、そして『シンガポールは、日頃からしっかりとした国造りに努めており必要なときにはガッツを示す。拳を見せる。なぜ日本はそれが出来ないのでしょうか?経済面でも安全保障の面でも、日本はもっとしっかりしていかなくてはならない。そんな思いを強くしています。』と講演の最後を結ばれた。


“Flying the Singapore flag in Japan”(シンガポール国旗日本ではためく)
『ストレイト・タイムズ』掲載記事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10

Kuwan Weng Kin記者

Kuwan Weng Kin記者の東京からの寄稿によるThe Straits Times(3月17日)の記事。同記者は日本シンガポール協会の活動をはじめ、今回の東日本大震災・大津波被害に対する各地のシンガポール友好協会などのボランティア活動への支援に就いても触れ、前述の橋本元大使の講演の内容も紹介している。


シンガポール進出企業シリーズ(その4)“シンガポールにおける日本企業の生い立ち”
企業進出第一号三井物産シンガポール支店 120年の歴史と変遷。
坂の上の雲シンガポール版。(前編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

(一社)日本シンガポール協会 参与 横田 陟

 企業シリーズは三井物産です。120年前の1891年7月の三井物産シンガポール支店の開設を紹介し、また同社のシンガポール進出にとどまらずアジア全体の枠組みと時代背景、日本の「ソーゴーショ-シャ」としてのDNAの確立など、日露戦争、第一次・第二次世界大戦と言う歴史のうねりのなかで、軍部に対する選択の余地のない協力をしながらも御用商人や政商とは一線を画そうとの葛藤を描く。次号後編は、日本の敗戦で全てを失いながら、占領軍の解体命令を乗り越えた復活までの波瀾万丈の歴史の一頁を紹介する。


「豊饒の海」のキー・ストーン
第4話 イギリス東インド会社の黎明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24

(社)日本シンガポール協会 会員 矢延 洋泰 

 あるイギリス人が日本人から母国を「紳士の国」と呼ばれて驚いたと言う話がある。イギリスはスペイン・ポルトガル・フランスと並んで「海賊行為」、または国王が発行する世にも不思議な海賊許可証とも言える「私掠免許」を以って「合法的海賊行為」を行ってきたので、なるほどその意味では「紳士の国」とは程遠いものがあったかも知れない。「大航海時代」の先駆者スペインと後発のイギリスとの壮絶な戦いは、1588年の「アルマダの海戦」でのスペインの大敗を境にイギリスが優位に立ち、1600年エリザベス女王の「特許状」の下付を受け、いよいよ正式にオランダ方式に呼応した「イギリス東インド会社」が設立された。特定の商人が独占的に投資をし航海に成功すれば株主に分配される方式で前後12回の航海が行なわれた。


シンガポール人アーティスト
ジャスティン・リーの福岡滞在記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

(社)日本シンガポール協会 会員 猪山 雄司

 シンガポール人アーティストのジャスティン・リー氏は今年3月に福岡県糸島市にあるスタジオ・蔵で滞在型芸術活動として展覧会を開催しました。スタジオ・蔵のオーナーであるマツザキヒロフミ氏は日本財団とシンガポール国際基金が支援する“糸島芸農”と言う活動を5月から11月にかけて開催する予定で、リー氏も参加したいとのことです。(和文・英文・写真も掲載)


シンガポール“タナメラCC”からの友人たち。・・・・・・・・・・・・・・・・・31

(株)芦の湖カントリークラブ 代表取締役社長
(一社)日本シンガポール協会 会員 野村 茂継

 芦ノ湖カントリークラブの提携ゴルフ場であるシンガポールのタナメラCCのメンバー同士の民間交流が進んでいる。昨年日本シンガポール協会会員の香川倫弘氏の紹介で芦ノ湖カントリークラブを訪問されたMs Li Chewさんは最初の訪問から帰国後、タナメラCCのニュースマガジンに楽しかった芦ノ湖カントリークラブ訪問記を載せたところメンバーの間で評判になって今年の秋には30人前後のタナメラメンバーが来日する予定とのことです。(メンバー間交流の写真とタナメラCCのニュースマガジンの記事のコピーも掲載)


会員の新刊紹介
  『アジアで負けない三流主義』出版によせて・・・・・・・・・・・・・・・・33

クラウンライングループ社主・CEO
(一社)日本シンガポール協会 会員 森 幹雄


「アジアビジネス実践塾」
第1期 シンガポール編 DVD全9巻 ご案内・・・・・・・・・・・・・・・・・34

プレミア電子出版株式会社 代表取締役
(一社)日本シンガポール協会 会員 大友 敬


新刊紹介
  『シンガポール共和国の概況』(2012年3月版) ・・・・・・・・・・・・・36

(一社)日本シンガポール協会 発行


イベント報告
  第42回定例総会の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37

  第9回 シンガポール日本人学校OB&OG懇親会・・・・・・・・・・・・・39


最近の新聞報道から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43

新会員紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54

各地のシンガポール協会紹介


季刊誌 『シンガポール』 2012年秋号

目 次

ニュースフラッシュ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

 最近のトピックス: 新駐日シンガポール大使 チン・シアット ヨーン(Chin Siat Yoon)大使が 着任され、当協会の名誉顧問にご就任戴くことになった。ベイ駐日主席公使が帰任されるにあた り当協会の送別会を開催した。これまでのベイ主席公使のご支援に対し御礼申し上げます。


シンガポール進出企業シリーズ(その4) “シンガポールに於ける日本企業の生い立ち”
企業進出第一号三井物産シンガポール支店 120年の歴史と変遷。
坂の上の雲シンガポール版。(後編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5

(一社)日本シンガポール協会 参与 横田 陟 

 後編は、第二次大戦後から現在に至る三井物産シンガポール支店の歩み。 第二次大戦での日本軍による占領と言う苦い歴史を乗り越えての日星友好関係の深化、GHQによる日本の総合商社の解体とその後の復活、シンガポール華僑コングロマリットとの合弁事業の意義。 そして1991年のシンガポール支店開設100周年記念。さらには、一企業三井物産の枠にとらわれず、日本の環太平洋経済ブロックを見据えたシンガポールの新たな位置づけなどを熱く語ります。


「豊饒の海」のキー・ストーン
第5話 イギリス東インド会社船、初航海の陰で・・・・・・・・・・・・・・・・17

(一社)日本シンガポール協会 会員 矢延 洋泰 

 1819年トーマス・ラッフルズがシンガポールに上陸する230年も前、ジェームズ・ランカスターは既に3年に及ぶペナンへの航海と漂流の挙句の奇跡的帰還を経験しているが、 これにも懲りずイギリス東インド会社の設立に応えて再び1601年から2年半におよぶアチン(現バンダ・アチェ)への航海に挑んで膨大な量の胡椒を持ち帰り投資家に配当した。 5話は大航海時代の西アフリカ周りの航路時発見までの艱難辛苦、中世の「T-O図」や「不帰の岬」など、バスコ・ダ・ガマ船長やさらにはその半世紀も前のポルトガルのエンリケ航海王子派遣の船団にも触れ、 その140年後でもなお暴風雨と「壊血病」の困難があったという。 しかし一方で1400年頃の中国明の鄭和の7次に及ぶアフリカ大遠征ではすでに果物・野菜が壊血病に効くことが判っていたという。


日本での経験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22

シンガポール日本商工会議所短期留学奨学生
第16期(留学期間2011年9月~2012年8月)
Seow Li Xin Shelley(シャオ リー シン・シェリー)

 JCCI 派遣留学生のシェリーさんは、約1年の留学生活を終えて今年7月早稲田大学国際教養学部を卒業しました。 シェリーさんは、初めての一人暮らしや、電車を乗り継いで約1時間半の通学などを経験しました。 シェリーさんの人生にとってかけがえのない貴重な経験談を写真とともにご覧ください。


新会員から一言
懐かしのシンガポール生活を振り返って~珠玉の1年・・・・・・・・・・・・・・24

松田綜合法律事務所
弁護士 丸山 幸朗

 今号では新会員からご寄稿をいただきました。法律事務所弁護士という仕事に関連した留学で縁があってシンガポールに1年滞在された丸山さんの体験記です。 シンガポールでは法廷のIT化が進んでいたこと、衣食住に関してはやはりホウカーズでの食事。 お馴染みのシーフード・バクテー・プロウンミー・チキンライスなど懐かしいですね。 ほかにゴルフやシンガポール・ジャパニーズ・ラグビーフットボール・クラブ(SJRFC)での交流など、 筆者にとっての珠玉の想い出はこれからシンガポールへ駐在される方々などにとっての入門書です。 ほかの会員の皆様のご経験談も歓迎です。是非奮ってご寄稿ください。


風景と歴史―― イタリア ――(その5) ・・・・・・・・・・・・・・・・・29

(一社)日本シンガポール協会 会員 石河 正夫 

 前号ではヴェスビオ火山とナポリ湾の卓抜した風景の考察だったが、その美しさを光とすれば(その5)はその影の部分を語る。 西暦79年の最大の噴火、噴火の総エネルギーは何と広島型原子爆弾の10万倍。 ポンペイの遺跡はその影の遺産。そしてソレント、アマルフィへと旅は進むが対岸のアフリカはアルジェリア・チュニジアでありそれを根城にサラセン海賊が蛮行を振るう。 アマルフィはその海賊を袋小路に誘い込み挟み撃ちにする典型的な都市モデル。 歴史は風景に反映され、それを知れば知るほど「風景と歴史」の興味は尽きない。


書籍のご紹介
  『シンガポール共和国の概況』(2012年3月版)・・・・・・・・・・・・・・35

 (一社)日本シンガポール協会 発行


シンガポール“タナメラ・カントリークラブ”視察プレーPR・・・・・・・・・・・36

最近の新聞報道から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37

第10回 シンガポール日本人学校OB&OG懇親会のお知らせ・・・・・・・・・49

新会員紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54

各地のシンガポール協会紹介


季刊誌 『シンガポール』 2012年冬号

目 次

ニュースフラッシュ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1


シンガポ-ルと日本を巡る最近の対外投資動向  ・・・・・・・・・・・・・・・・5

(一社)日本シンガポール協会顧問
澤田 豊治

 UNCTAD(国際連合貿易開発会議)の「世界投資報告書2012」のデータを中心に最近のシンガポールと日本、並びに両国を取り巻く国際投資動向を分析して頂いた。日本の対内直接投資額が、2010年11年と2年連続でマイナス(資本の流失)に推移しているのとは対照的に、同時期のシンガポールのそれは究めて順調な伸張である。まさに、建国以来の外資企業への各種優遇政策と、進出外資企業のアジアにおけるハブ機能の拡充支援政策の成果と言えよう。シンガポールの対外直接投資の最大の投資先は中国、英国など、ちなみに日本は12位に留まる。シンガポールの対日投資残高を見ると、2011年度で1位の米国からオランダ・フランスなどに次いで第5位に入っているのが注目される。この投資拡大の主役は世界の有力ファンド・ベストテンの中で堂々8位と9位を占める「シンガポール政府投資公社(GIC)」と、「テマセク・ホールディングス・グループ」の2社であり今後も対日投資を拡大してくるものと思われる。


シンガポール進出企業シリーズ(その5)
住友化学のシンガポール石油化学プロジェクト・・・・・・・・・・・・・・・・・14

(一社)日本シンガポール協会 会員
宇田 龍三

企業シリーズは住友化学。1970年初頭の日本の石油化学各社は、需要や原料入手の安定化を求めて、その石油化学コンプレックスの海外立地を一斉に模索していた。これは住友化学がリーカンユー首相からの直接要請にもとづき、本稿の筆者が10年に及ぶシンガポールプロジェクトに没入して行った記録である。日本のナショナルプロジェクトとして、日本・シンガポール各50%の出資により当時の福田首相・リー首相出席の設立披露パーティーが執り行われたのは1977年のことであった。73年、78年の第一次、第二次石油ショックの歴史的障害を乗り越え、メルバウ島において80年現地着工、82年メカコンを経て、1984年2月に記念すべきシンガポールの石油化学がスタートした。40年を経た現在、当時振り向きもしなかったShellやEXXONを初め欧米・日本のほとんどの石化がシンガポールに進出を果たして、業績で鎬を削っている。住友化学が先鞭をつけた道は長く険しくはあったが正しい道程だった


イベント報告
 駐日シンガポール全権大使 チン・シアットユーン(CHIN Siat Yoon)
 大使ご夫妻歓迎会、チン大使のご挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

 新任駐日シンガポール全権大使 チン・シアット ユーン大使におかれては、去る2012年4月にご着任以来超ご多忙を究めておられましたが、ようやく当日本シンガポール協会として正式に歓迎会を開催できる運びとなり、去る11月20日「国際文化会館」にチン大使ご夫妻にご来駕いただき盛大に歓迎の宴を催すことができました。その折、チン大使から日本シンガポール協会に賜った心のこもったご挨拶は誠に有り難く、また大変印象深いものでありました。ここに、英文・和文併記で掲載させていただきましたので、歓迎会当日のスナップ写真とともにご一読いただければ幸甚です。


「豊饒の海」のキー・ストーン
第6話 強力海洋国家オランダの登場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

(一社)日本シンガポール協会 会員
矢延 洋泰

今回は第6話。スペイン、ポルトガルさらにはイギリスに遅れること100年にして、いよいよオランダの登場。遅れて登場したオランダはどのような手立てを講じようとしたのか。1568年の「八十年戦争」でのスペインとオランダの激しい争いの挙句、遠くスペイン支配下の西インド諸島ではオランダの私掠活動が始まり、1600年にはトリニダードトバゴへのオランダ奴隷船の出没にまで至る。その頃例の「リーフデ号」が豊後に漂着し、かのヤン・ヨーステンや三浦按人が乗っていたのは日本人にとってなじみが深いが、これもオランダの東インドの香辛料への渇望の現われであった。ところで、スペイン・ポルトガル間の各種条約で地球上には色々な線が引かれたが、「法王子午線」で南米の一角だけがポルトガル領のブラジルになったり、「サラゴサ条約」の線引きには日本が引っかかっていたり、世が世ならば厄介なことになっていた可能性もあったなどは興味深い話である。


第13回 国際マンガサミット鳥取大会開催に寄せて
  マンガ・アニメと日本古来の映像文化
~鳥獣人物戯画から初音ミクまで~ (その1)・・・・・・・・・・・・・・・・33

(一社)日本シンガポール協会 顧問
山田 章

 筆者の郷里鳥取県米子地方の方言では、絵のことを「デコ」と言ったらしい。文字のない時代先ず音の「デク」または「デコ」があってそれは祭礼や信仰に係わって人々の生活に身近だった。2012年11月「第13回国際マンガサミット鳥取大会」米子市で開かれた。水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」を観光資源とする境港・米子周辺がおおいに活性化し、その他のマンガのヒット作品が続々と世に出る中、日本におけるマンガの文化的・経済的シナジーがますます高まりつつある。そんな時期、国際マンガサミットが米子で開催されたことは意義深い。司馬遼太郎によれば、有史以前の日本には周辺の各地域から様々な人種・民族が寄って来たり、それぞれの異なる文化と固有の言葉の接するなか文字のない時代に、絵こそがコミュニケーションの手段として有効だった。筆者はその日本古来の絵でものを語る慣習が、和歌・俳句などの映像嗜好を育み平安末期の「源氏物語絵巻」、「信貴山縁起」、「伴大納言縁起」そして鳥羽僧正の「鳥獣人物戯画」と言うジャンルを生み出して行ったと語る。


書籍のご紹介
  『シンガポール共和国の概況』(2012年3月版) ・・・・・・・・・・・・・37

(一社)日本シンガポール協会 発行


最近の新聞報道から ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38

新会員紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54

各地のシンガポール協会紹介

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