会員の見たシンガポール


池袋西口 小川原デンタルクリニック 院長
(一社)日本シンガポール協会 会員 小川原 元成

3年の赴任の予定が、14年半もの滞在になったシンガポールでの歯科医生活。
振り返りながら、日本とシンガポールでの歯科医療の違いなども踏まえ、小川原様が感じたシンガポールでの生活の様子を紹介いたします。


まさかのシンガポール暮らし


1997 年12 月28 日

 1997 年の3 月。私は、4 年間に及ぶ大学院生活を終えて学位を取得。 春からは、母校の大学病院に歯科医師として勤務する身となりました。 6年間の大学生活、卒業してからさらに4 年間の大学院生活と合わせて10 年間大学で学生をしていたことになります。 大学院生の生活は、所属する医局によっても異なりますが、歯科医師免許を持っていますから、昼間は外来で診察。 夕方の外来終了後に研究。帰宅はかなり遅く、終電を逃すこともあるという生活でした。 外来で診察をしていても、身分は学生。もちろんお給料はもらえません。

 そんな大学院生活を終えて、大学病院勤務となった年の瀬、12 月28 日。 私は、所属する医局の教授に突然呼び出しを受けたのです。 そこは、皆さん御存知の『白い巨塔』。教授室に呼ばれると、何か失敗をしでかしたか?、何か良い話でも?等々、話の内容を想像しながら、かなりの緊張状態で部屋をノックするわけです。

 待ち構えていた教授は、開口一番 『小川原君、海外に行ってくれない?』昼時に教授に呼ばれて、約束の時間までずっと考えを張り巡らせて準備したつもりでしたが、あまりの想定外の内容に、まさに飛び上がるほどびっくりしました。 大学に勤務していて『海外に行かないか』と言われれば、普通は『留学』の2 文字が頭をかすめます。 しかしながら、余程優秀でないかぎり、春に大学院を卒業した者に海外留学の話が来るわけがありません。 大学院でそんなに優秀だったか?と自問自答しても、返ってくる答は『否!』。どう考えても、この段階で自分に留学の話が来るわけはないのですが…

 おそるおそる内容を… 『海外に行くのは構いませんが、どちらの国ですか?』あり得ないと思いながらも、留学を想定しながら行き先を尋ねてみると(当然、頭の中では欧米を想定)、 教授も答えにくそうに、『シンガポールなんだけどね…』海外赴任を打診されただけでも驚きなのに、さらに想定外の東南アジア、シンガポール。 正直、完全にノックアウト。この時点で、全ての思考が停止してしまいました。この後、教授が目の前で色々と説明をしているのですが、全く頭に入ってきませんでした。

 どうにか平静を装いながら、なんとか頭の中を整理しながら聞き取れた内容は、『シンガポールには約2万5千人もの日本人が住んでいる。 日本人の医師は数名(当時は、日本人会クリニックとJapan Green Clinic)赴任しているが、日本人歯科医がいなくて皆さんが困っている。 今回、シンガポールの某メディカルグループから日本人歯科医を赴任せてくれないか、という依頼が大学にあった。 数人(教授陣)で相談した結果、君になったというわけだ。つまりは、シンガポールで初めての日本人歯科医師として赴任してくれという話だね。』

 当時の私の生活はと言いますと、結婚して3 年目。家内は心療内科医をしており、九段坂病院に勤務中。 さらに、翌年5 月に最初の子供を出産予定という状況でした。

 教授室では、『とにかく少し時間をください』というのが精一杯で、自分を取り巻く環境を考えても『はい、行きます』とは、簡単に言える状況ではありませんでした。

 その晩に帰宅後、妻に話すと『行こうよ』とあっさり。仕事、子供、慣れない生活等々心配の種はたくさんあるにもかかわらず、 『どうせ出産で仕事は一時中断するし、海外で子育てもしてみたいし、医者という仕事で海外で暮らす機会も誰にでもあるわけではないし、むしろいい機会じゃない?』と。 教授の話も驚きましたが、妻の反応にはさらに驚きました。女は強し!を再認識した瞬間でもありました。こうして、知り合いもいない、前任者もいない東南アジアへの赴任話はトントン拍子に決まってしまいました。

病院のシステムに戸惑う

 話をいただいてから3 ヶ月の準備期間を経て、シンガポールに赴任した私が最初に勤務したのがGleneagles Medical Centre 内のクリニックでした。 ここでシンガポールの医療システムに大きく戸惑います。

 日本では、病院が医師、看護師などのスタッフを雇用して、各診療科に配置します。 内科であれば、内科外来があり、所属する医師が担当制で診療にあたります。 皆さんがよく御存知のシステムです。

 シンガポールでは、Gleneagles Hospital には雇用されている医師は存在しません。 病院が抱えているのは、(医師以外の)看護師などのスタッフ、病室、手術室などの設備、医師が使用する器具類。 つまりは、それぞれの医師が病院の設備とスタッフを借りて手術を行い、病室を借りて患者さんに入院してもらうシステムです。

 医師は先程のMedical Centre にそれぞれのOffice(Clinic)を持っていて、日常の診療はそこで行います。 もちろん、賃料を支払ってOffice を借りている医師、Office を買い取って(日本での分譲マンションのような形)いる医師と様々です。

 日本では、医師は病院に雇用されてるので、病院のスタッフであり、給料は病院から受け取ります。 シンガポールでは、医師は病院の設備、スタッフを有償で借りてくれるので病院にとってはお客様になるわけです。

 シンガポールで入院経験のある方は、日本では考えられないような費用を支払ったことはありませんか? 理由はわかっていただけたことと思います。病院は、設備使用料、スタッフ代、器具使用料を、医師は治療費を患者さんに請求します。 色々な費用が乗せられている分だけ費用は高くなるという訳です。日本の病院システムに慣れ親しんだ自分にとっては、大きなカルチャーショックでした。 このシステムのみならず、日本とシンガポールの医療システムの違いに戸惑い、慣れるまでには数年かかりました。

 こうして始まったシンガポールでの生活でしたが、この頃は早く任期を終えて日本に帰国したいとばかり思っていました。

免許が下りない!?

 歯科医師として働くためには、その国の歯科医師免許を持っていなくてはなりません。 これは万国共通であり、シンガポールも例外ではありません。日本の歯科医師免許でそのまま治療をすることはできないのです。

 海外からの医師、歯科医師の受入を熱心に行っているシンガポール。 イギリス、オーストラリア、アメリカの歯科医師免許保持者はFull License を取得することが可能です。 FullLicense を保持していると、現地の歯科医師と同様にシンガポール人を含め、全ての人を診察することが可能となります。

 一方で日本の歯科医師免許保持者に与えられるのがConditional License です。 その名の通り条件付きのライセンスで、診療の対象が現地に滞在する日本人(旅行者を含む)限られます。

 シンガポールに渡って最初の壁は、このシンガポール歯科医師免許の取得でした。 渡航前には、『話は出来ているので簡単に許可はおりる』と聞いていました。 ところが、いざシンガポール厚生省(Ministry of Health : MOH)に出かけてみると色々な部署をたらい回し。 最終的にSingapore Dental Council(SDC)の管轄であることが判明するまで数週間を要しました。 今でこそ日本人歯科医師の免許申請方法は確立されていますが、当時は初の日本人歯科医師に対する免許申請許可ということでシンガポールサイドも混乱していたようです。 結局、渡航2ヶ月後の5月末にようやく免許を取得出来ました。

 現在、政府間の取り決めにより日本人歯科医師に与えられる免許は15 名(医師は30 名)に限られています。 試験を受けることなく日本の歯科医師免許で診療が許される国は世界の中でも多くはありません。 日本における歯科ビジネスの厳しい現状を反映して海外に活路を見出そうとしている日本人歯科医師も多いようです。 現在、この15 名の免許を巡ってSDC には数多くの日本人歯科医師が免許申請をしており、順番待ちの状態が続いていると聞きました。

<h5> 治療費の設定

 免許が下りるまでの2 ヶ月間、診療はできません。毎日クリニックには詰めているのですが、免許のない歯科医師ほど暇なものはありません。この期間に頭を悩ませたのは治療費の設定でした

 現地で勤務したのは、Ko Djeng Gleneagles という矯正専門医のボスを中心に歯科の専門医が集まったクリニックでした。 日本では、歯科の専門医というと聞きないかもしれません。医師に外科医、内科医…と専門があるように歯科にも専門があります。

 日本のような保険制度のないシンガポールでは、専門医の治療費は非常に高くなります。 若いローカルの歯科医師達は、卒業すると専門医の資格を取得するためにこぞってイギリスに渡ります。その理由のひとつに治療費が挙げられるでしょう。

 話を元に戻しますと、日本人歯科医師としては初めてなので治療費の目安がありません。 日本人は(歯科医師も含めて)保険治療に慣れています。虫歯をひとつ詰めて1万円と言ったら驚きます。しかし、シンガポールでは、この1万円が常識です。 最初は、このギャップに悩みました。治療費を決めなくてはならないのですが、どうしても高く設定できません。 勤務しているのは、現地のクリニックですから日本人の方だけ極端に安い設定というわけにもいきません。 紆余曲折を経て、最終的には治療費の設定をしたのですが、3 割負担の日本と比較して、10 割負担のシンガポールでは、かなりの高額設定になってしまいました。

 案の定、治療を開始すると皆さん例外なく『高いですね』という反応でした。 実は、この反応が自分には一番堪えました。好きこのんで高い設定にしたわけではなかったので、当初は高額になる理由を説明するのが大変だったことを覚えています。

現在

 1998 年当時、自分一人だった日本人歯科医師も今では15 人以上(17 名)いるようです。 本来、日本政府とシンガポール政府の間の取り決めで日本人歯科医師は15 名までとなっているのですが、米国のライセンスを持っているなどの理由で15 名を若干越えています。 27,525 人(平成25 年外務省海外在留邦人数統計要約版)の日本人に対し17 名の歯科医師ですから、人口10 万対歯科医師数は61.8 名になります。 単純に比較は出来ませんが平成24 年の全国平均が10 万人対歯科医師数が78.2 人ですからシンガポールの日本人歯科医師数もほぼ飽和状態に達しつつあると考えられます。 1998 年に赴任した当初は、シンガポール在住邦人が約25000 人あまり。歯科医師一人ですから、人口10 万人に換算すると歯科医師4 人。 どうりで予約が一ヶ月以上先まで取れない状態になるわけです。

 当時は珍しかった日本人医師、歯科医師もシンガポールだけではなく、タイ、ベトナムなどでも見られるようになりました。 日本人の海外進出を考えると、現地で日本人による診察が受けられるというのは大きなアドバンテージでしょう。 これからも同じような医療が受けられる国が増えて、医療面でも安心して暮らすことが出来るように願っています。

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